ポンペイショートストーリー3                                               


囚人と看守と裁判官

  グアムで飛行機を乗り換えて来る旅行者が、上空から見たポンペイの緑の濃さに驚きの声を上げるという。
世界で5本の指に入るという降雨量の多さが、多種多様の植物や花を育んでいる。 驚く速さで雑草が伸びる
この島では、草刈も一つのイベントになる事がある。

  15〜6人の若者が、刃渡り50センチはあろうかというナイフで、道路わきのボクソウという、ススキに似
たような草を刈っている。 第二次大戦前この島に小さな牧場があって、牛にこの草を与えていた。 その時
の名前のままポンペイ語になっていて、今でもボクソウと呼ばれている。

  この若者達に混じって、警官が一人歩きまわっている。 別に何をしているというような感じもせず、時
折、若者達と笑顔で話をしたり、いっしょにタバコをふかして休憩したりしている。ところがこの警官、れっ
きとした勤務中なのである。 彼の仕事とは、<若者達を見張っていること>なのだ。

  そして彼ら若者は、ポンペイ州立刑務所の現役囚人達である。 この囚人達 逃げ出すような素振りも見
せず、警官を襲うこともせず、一生懸命に草を刈っている。 そして時間がくると 一列に並んで、宿舎?の
刑務所に歩いて帰る。 

  彼らが着いた先に、小柄な一見子供のようなトノワが立っていた。 20代後半になる彼は、囚人暦20年以
上の大ベテランである。 6歳くらいの時から出入りを始めて20年、今じゃここが自分の家みたいになってい
る。 トノワの罪名は、窃盗罪、身体が小さくどんな所でも入れる利点で何でもいただく。 子供の時、トノ
ワは刑務所から、特別に小学校へ通わせてもらったことがある。しかし、副業の勉強より、本業に身が入り、
同級生の鉛筆や使いかけの消しゴムを盗ったり、居眠りをしていた担任のゾウリを隠したりしたのがばれて、
退学処分の身となった。

  ポンペイの刑務所には、一応、窓に鉄格子がついているが塀がない。 しかし、トノワ程のベテランにな
ると、ほぼ一日中外にいる。 掃除や雑用、時には、買い物?までする。 他の囚人が、タバコが無い、アイ
スクリームが食べたいと言うとトノワが呼ばれる。 気の良い看守は 「トノワ 悪いけどひとっ走り頼むよ」
と、 トノワに行かせる。 何故、これほどまでにトノワが、信頼??されているのか、それにはちゃんと訳
がある。
 
  トノワは、ここから出たくないのだ。 のんべーの父とだらしない母を持ったトノワは、子供の時から、
欲しい物も買ってもらえず、ろくに満足な食事も食べさせてもらえなかった。 自然と自分で自分の生活を支
えていくことになる。 そのことがトノワがここに居る事の大きな原因となっていた。 しかし、ここに居れ
ば政府に保証されている。 オカズは、あまり大した物はないが、三度の食事に間違いは無い。  一生ここ
にいても良いとさえ思う。  殆どの囚人が同じような気持ちでいるようだ。 チョットくらいの盗みで20年
も住まわれて、ただ飯を食われたのでは、政府も成り立たない。

  毎日のように裁判を開き、どんどん刑を決めて行く。 そして、ただメシOK期間を限定していく。出所し
てしまうと毎日がつらい。  そこで囚人達は、考える。  釈放される2〜3日前に脱獄するのだ。  
そして、わざと捕まる。 脱獄は重罪だ。  捕まると何ヶ月かの刑が付される。 そして、また三食付きの
安らかな生活が戻る。 これの繰り返しで 20年以上 トノワは生きてきた。 

  しかし、トノワにも、いよいよ年貢の納め時が来た。 アメリカ人の裁判官が、赴任して来たのだ。調書
と報告書を読んだ裁判官は、トノワを無罪にして、州立別荘?から追い出そうとした。 その時の裁判で、こ
のアメリカ人の裁判官は、三十年の裁判官生活で初めて罪人から「頼むから、自分を無罪にしないでくれ。 有罪にし
てくれと」と、目に涙をうかべて言われた。

そのことを任務を終え、アメリカに帰る日のさよならパーティーで、自分の国アメリカでは 考えられない
話だ、としみじみと語ったとのこと。


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