滅びる寸前の 「ポク一族」

32〜3年前、ポンペイでは珍しく、ロックバンドが来て、ライブが開かれた。
コンサート会場も、ライブハウスも無いこの島では、バーでライブをするしかなかった。
バーと言っても、日本のそれとは違って、西部劇に出てくるような、カウンターがあって、
テーブルと椅子がある、そんな程度の物である。針が引っかかってしまうような、ジュー
クボックスは有るにはあったが、サービスするウェートレスもバーテンダーも、まるっき
り無愛想で、横浜あたりで、船員相手に開いている場末のバーの方が、よほど良く見えた。

ライブバンドが無かったら、絶対に入らなかったそのバーに、弟と二人、怖い物知らずに
入っていった。 久しぶりの熱気と、腹に響いてくる音に、しばし酔った。そういったもの
を知っていて、見たことも、聴いたこともある我々が、そういう状態になってしまうので
ある。 初めて経験するポンペイの人達が、興奮し、そして、狂ったようになってしまうのは、
恐ろしくも、仕方ないのかもしれない。

ごった返すバーで、2 、3人のよっぱらいに因縁をつけられた。ポンペイに来てまだ日
が短い、言葉もやっと日常会話が上手く話せる程度で、人の顔など、10人1色。みんな双子の
寄り集まりのように見える。誰が誰だか分からないし、こんな所で揉め事でも起こしたら、
バーの中にいる全員が、敵かもしれない。ここは上手くのがれようと、相手にせずに後ずさ
りした。と、後ろにも5、6人。やばい気がした。

広い所なら走って逃げることも出来るが、これだけ人が居ると・・・ すると、因縁を
つけていた連中、何となく様子がおかしい。「どうも、どうも」と言う感じでいなくなって
しまった。後ろの連中の一人が話しかけてきた。「あんたら、目立ちすぎる。これからも、
こういう事があるかも知れないから、気をつけるように」。そして人ごみの中に紛れてしま
った。まるで、映画の中のシーンで、主役が1番美味しい所を演じているようだった。

 しかし、この時こそが、私が始めて「一族」と出会った時だった。この連中と私達は、同
じ「一族」である。と、言っても、我々は、直ぐにわかる、来たばかりの、日本人の顔。 それ
に引き換え、連中は、今会っても、五分後には 分からなくなってしまうような同じ顔。人が
多く集まる場所では、往往に「一族」のなかで、お互いに、注意を払って、何か起きたら、助け
合うようにしているらしい。

 ポンペイには、日本の「屋号」のようなものがある。ポンペイ語で、ショウと呼ばれ、何々
族、ミスターみたいなもの、何々係り、何の位の頭文字、といろいろ使われる。 我々は、
「ショウン ポク」と言われる一族で、「ポクの人」の意味がある。 同じ名の ショウを持
つ者は、一族である。

 キチー村に有る、ポクと言うところで、100年以上の昔、ポクの人達が惨殺された。皆殺し
になる前に、一人の少女が、川を伝って逃げた。マタラニーム村へ逃げた少女は、その後も、
身の危険を感じ、ナット村のカーマルと言う所まで逃げ伸びた。そこでかくまわれて成人し、
結婚した後、3人の娘を産んだ。この娘達が結婚し、マタラニーム村、キチー村、ナチック島
にそれぞれ、いまの「ショウンポク」達を増やしていった。

 我々の祖母の、祖母くらいの話である。そしてこの中の、ナチックに行った娘、話が、前後
して、明確なことは、分からないが、「ナチックの男、皆殺し」にも関る。やはり、100年
くらい前、イギリスから来た、捕鯨船団によって、島の男達が殺された。女達をめとり、
「白いナチック」を作った。この時も同じ様に、一人の男の子が隠れて、逃げとおした。
のちに「黒いナチック」を作る事になる。

 捕鯨団は、鯨より金になる、カメの甲羅、べっ甲を欲しがった。後に、島に残り、一生を終えた
人も大勢いた。島に残ったイギリス人の血を引く人達は、色が白く、顔つきも、まるで白人である。
そして、逃げて、隠れた子の血を引く人達は、褐色の肌を持つ、黒いナチックと呼ばれた。

 9人兄妹の祖母は、上5人は、白いナチックの父親、下の4人は、キチー村の父親、と 肌の色が
分かれている。 4〜50人位居る、母のいとこ達は、外人みたいな人が大勢居る。 日本人の父を
持つ私は、何処から見ても日本人にしか見えない。この、いきさつを、知らないと、いま、東京に
いるミクロネシア大使夫人と、私がはとこだなんて、誰も信じられないと思う。


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